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(教諭が教育現場で主張する)ワークライフバランス/ワークシェアリング

登録日 13/02/23   更新日 19/06/13

 ワークライフバランス/ワークシェアリング  チームティーチング  臨時免許  パソコン実習室  故障


私は、授業をしたくない訳では無い。 隙有れば授業でも校務でも何でも狎れ合ってサボろうとする教諭が全てを形骸化させ、 パワハラして来る事は長年の日常茶飯事で経験済みだから、 そして、其の事に因る生徒への責任を私の立場では対外的に取る事が出来ないから、 心を鬼にして我慢しているジレンマ。 抑も、教員採用試験で散々不合格にしておいて、助手で採用されたら、 教諭は助手に授業やら校務やら押し付けて遊んでいるのだから、全くフェアでは無い。 これが常識の世界で、私の人事考課が良い訳が無く、生徒からも嫌われているのだろうな。


教諭が基本的には忙殺されている事は間違いではない。 生真面目な教諭ほど物凄く頑張っている。委員会は尚更。 しかし、例えば、「教諭の仕事の種類が多過ぎる」を何処迄前面に出して主張する人か、 「教諭の人数が少な過ぎる」を何処迄前面に出して主張する人か、によって、 その人の「仕事」や「仲間」に対する発想や考え方、 ”スタンドプレイ度” や ”上膳据膳度” が判ったりする。


教諭のタテマエ

定時になったら残業せずに帰宅しよう(ワークライフバランス)、 そのために仕事はお互いに分担し合おう(ワークシェアリング)という、 本来のワークシェアリングの意味とズレている様な気がするけど、そんな感じ。


教諭のホンネ、現実

そもそも、 真面目に仕事をこなそうという人にとっては、物理的に無理。
上が責任を負いたくないだけ。

例えば、私の休日の保守作業なんて、元より特勤手当対象外だし、周りもそんなの知るか、だろうし。
でも、平日はPC絡みの文句タラタラ(「故障」の項参照)、学校は金出さない、助手が直せば済む、だし。 都合の良いことだ。
※これは私に限った話では無い。こういう人は、全国にそれなりに居る。

或いは、 「お互いに仕事の仲間なのだから(自分達が楽をする為に助手はクビになれ)」という、 私には到底理解出来ないが教諭にとっては基本常識らしい理論により、管理職の暗黙の了解の上、 助手に授業や、考査の監督や採点、部活動、その他を丸投げし、 教諭はその時間をゲームや競馬、管理職の茶坊主に勤しみ、 やがて模範教諭として管理職となることを目的に作られたシステム。
某教諭曰く『校長に「授業や部活動は行かなくとも良い、助手にやらせておけ」 と言われたから授業や顧問を承諾した。そうでないのなら校長に訴える。』。

(教壇に立ち授業をしない、出来ない、から)教員免許の更新義務もなく、 国の「教育の情報化」実態調査の対象でもない実習助手の私に、 何故に授業評価が有って、教諭の手抜きやインチキを責任転嫁されるのだろうか、 と、ずぅ~っと、何時も思う。

教諭って、 表向きの「自分は正義!(決まった!カッコイイ!!)」な独善的で偏狭な綺麗事と、 その裏で済崩しにし生徒も利用して美味しい汁を吸い尽すホンネ、と言うのが殊更に物凄く大好きな様で、 コトの大小を問わずこの手のネタは探すのに苦労することなく、日常的に何処にでもある。

統計上は知らないが、少なくとも私の周りには、 私が何の為にわざわざ貴重な毎週の休日を終日潰してまで学校で、 1円の特勤手当が出る訳でも無い保守作業をしているのかという事を全く理解出来ず、 ただ、自分が如何に楽して得をするかという事だけを考え、 自分の勤務時間には5分でも口喧しく主張し、 都合の良い綺麗事を前面に出して、裏で舌を出してほくそ笑んでいる教諭ばかり。

この25年以上、現在も日常として、一事が万事。
実際、昔も今も、「人事考課」「模範教諭」 「ワークライフバランス」「ワークシェアリング」なんて綺麗事、 チャンチャラ可笑しい。その実、蓋を開ければ...。


教諭の仕事

長年の経験則
パソコンに限らず、あらゆることにおいて、 授業でも、仕事でも、私が誰かをほんの少しでも手伝うと、 翌日にはそれは私の仕事になり、他の誰も全くしないのが当然となる。 「忙しいから○○出来ない」とか「××は教諭の仕事じゃない!」などと喚いているが、 「○○」や「××」は、その時の都合によって、授業をも含む全ての仕事に当てはめられている為、 総合的、優先順位的に見ると、 実は 教諭の仕事は何も無いらしい。

また、「忙しい!」と大騒ぎし、 「どーせ、こんなことやっても無駄!」と授業や検定を形骸化させている教諭は、 他から「こんなプロジェクトが...」と誘っても、100%「こっちは忙しいんだ!」と言い返すか、 美味しい所だけ摘み食いして実態は形骸化させ、やがて、狎れ合いなプロジェクトが蔓延、常態化する。 自分が無駄だと思う様な授業や検定にしている自分を省みる事が無く、 忙しいから、どうせ無駄だからと思う事で自己弁護し、 無駄では無い授業や検定にしようという意識は、全く無い。 一番の被害者は、生徒。

何処の勤務校に居ても、誰もが「今の勤務校が他の学校よりも忙しくて大変だ!」と口々に言い合う。 結構、オモロイ。

ただ忙しがっているだけの教諭には、本当に面白い話は、やって来ない。


全てノンフィクションな「ワークシェア」のほんの一例。実態はもっと酷い。

教諭が授業に出て来ない。偶に来ても5分で居なくなる。 管理職の茶坊主か、ゲームしているか、競馬しているか、いろいろ。 指摘すると、無い事無い事を管理職への誹謗中傷。 勿論管理職も自分が茶坊主をされている位だから暗黙の了解。 お互いにその「実績」で未来が明るい。 自分さえ良ければ生徒が未履修でも助手がクビになっても構わないという典型的なパワハラの例。 ほぼ、恒常的に起きている。


大昔、管理職から各課に振り分けられたプロジェクトの作業が、 表向きは各課が作業を行っている事になっているが、 実は、裏では、各課で都合の良い様に仕様を変更し、各課から私に丸投げされた。 しかも、各課から投げられたものを突き合わせると仕様が全くバラバラで整合性がとれないのだが、 私が指摘しても各課主任は各課間で調整する事をせず、自分に都合の良い仕様を強制してパワハラ三昧。 名付けて「チリ地震津波現象」。


ありとあらゆる課、科、学年において、「パソコンを使って」という言葉を前に付ける事で、 これは自分の仕事では無いと言い放ち、あらゆる仕事を投げ付けて来る。 つまり、パソコンを使って行う仕事は全て自分の仕事では無い、と、言いたいらしい。 或いは、自分がパソコンという道具を使いこなせない不都合は全て道具の所為にしたいらしい。


大昔。表向きの名前だけのプロジェクトメンバー。ヒラメ教諭が勢揃い。 企画では業者に依頼する筈が、その為の予算ン十万円は何処かへ消え(何処かな~?)、 丸投げされた助手が、開発環境さえも自腹で整え、一人でシステムを開発する。


大昔。考査の簿記の答案を「採点しておけ」と寄越す教諭。 勿論、私は簿記の授業には出ていない。


大昔。学校行事などで自分の部員だけ練習出来る様に依怙贔屓し優遇、 予算の自分の部や自分自身へのインチキを強制する教諭。


大昔。一年間、毎回一切説明もせず、ただ只管プリントを配り提出させるだけの情報処理の授業で、 しかも半分の生徒を完全放棄した教諭。 考査の答案も半分にだけ返却、答だけを言い、残り半分は完全無視。 嫌がらせ(なのか?)を通り越して陰湿卑劣。どういう心理なのか、何故半分なのか、未だに全く意味不明。 日常を含め何故教諭になれていたのかという次元で物凄く不思議。 でも、何故か管理職では私が悪い事になっていたらしい。助手に対する完全なパワハラ。 上の(0)と同じ一例。


昔、教諭ありけり。
教諭曰く「教育の為なのだからソフトウェアなんてどんどんコピーしても構わない。コピーしろ。」
私「責任は誰が?」
教諭「『助手が勝手にした事だから自分達は知らない』」
私「コピーは駄目です」
教諭「逆らえば助手なんて不適格で直ぐにクビだ。代わりなんて幾らでも居る」
どっちにしても、クビらしいので、コピーしなかった。
一人や二人、一度や二度では無い。
「教職員組合のイベントでゲーム大会やるから・・・(以下同文)」 というのも有った。
自分達の勤務時間は5分でも大騒ぎするが、プログラマの生活はどうでも良いらしい。


大昔、大規模な商業高校で、毎時限授業が終了する度に点在する4つの実習室から、 「PCの電源が落ちていなかった!」「Wordの設定が問題集の図の通りで無かった!」 「壁紙が!」「アイコンが!!」「ツールバーが!!!」「灯が!」「窓が!!」「鍵が!!!」 と、教諭が入れ替わり苦情をタラタラ言って来るが、 それを休み時間10分間毎に全て元に戻せって非現実的だし、苦情は前の授業の人に言うべきことだし、 そもそも授業中の事なのだから各教諭が指導すべきことで、この人達一体何を教えているのだろう???  あぁ、そうか、自分が指導出来ないから、前の授業の教諭にも言いたくないのか、 と呆れ果てた時期が何年も続いていた。 例え、その後、復元システムが導入されたとしても、 根本的な、馴れ合い指導と責任転嫁の体質は、今も全く変わってはいない。


大昔、誰かが持ち込んだウィルスの感染により学校内の実習用PCが全滅した事が何度も有るが、 事勿れ、責任転嫁な教諭は一言「助手が直せば良い」のみ。 私が一人で黄金週間を全て潰して手作業で修理したりする。

どう考えても私が休日に来て作業をしないと成り立たないスケジュールが職員会議で予め組まれている。 これは私以外でもよくある。

勿論、振替や手当は無い。


大昔、表向きは私だけが持っている事になっている実習室の鍵が、実は誰でも生徒でも持っていて、 休日、偶々居合わせた教諭が勝手に実習室を開けて生徒に使わせ、或いは生徒自身が勝手に開けて、 課題、ゲーム、音楽、画像や動画、その他色々をやりたい放題、後始末を一切せずに帰宅していた時期が何年も続いていた。 その苦情は、(鍵を持っている事が表沙汰になるとお互いに不味いから)開けた教諭や生徒では無く、 全て偶々当日学校に来て居なかった私に来た。
上記の様な状態の時に、夜中に実習室のPCが分解され、RAMが盗まれた事件が起き、 犯人に無理矢理こじつけられた事も有った。日常的に有る卑怯な事勿れの極み。 それが嫌なら休日も盆正月も(自分達は居たくないから)学校に居ろ (ほぼ同じ意味の言葉を実際に言われた)、という暗黙のパワハラ。
管理職や生徒には良い所見せたい、でも面倒事はしたくない、の一例。


上記に加えて、
休日、私がメンテナンスの為に学校で作業をしていると、殆どの確率で、 授業ではマトモに教えて貰えていない生徒が、 授業担当の教諭から休日に来てやれと言われた課題の質問をして来る(質問しろと言われたらしい)ので 結局、私の作業が延期になる、という事例が、非常に長く続いた。 私は授業担当の教諭からは何も聞いていないし、 授業担当の教諭は学校に来ていない、勿論。

挙句、休日の学校で上記の様な状態になっている私に対し、 「丁度良い所に居た、私物のノートパソコンが起動しない、直せ」と、 現物一式を否応無しに目の前にドンと置いてそのまま居なくなってしまう事例も、一度や二度では無い。


他人の成果を、実際は何もしていない自分の自己評価として管理職に提出したり、 自分の名前で発表をしたりする。
日常茶飯事。


全てに形骸化している、自己都合な仲間意識。
『ネットが繋がらないから仕事が出来ない! 仕事を終わらせたいのに送別会にも行かなきゃならない!どうなっているんだ(直ぐ直せ)!』 → 異動する私は送別会に出席せず一人で対応、処置。異動しない前述の教諭達はやりたくもないらしい (仕事だと思って仕方なしに出席する)送別会。


教諭の合唱隊。
「年休を取ったら当然評価を下げる、当たり前のことだ」← 私が居ないと自分が授業をしなければいけないから
「(上記の様な事に)逆らえば助手なんて不適格で直ぐにクビだ。」
「(上記の様な事をホイホイやってくれる)代わりの人間なんて幾らでも居る」
実際に、日常的に、何度も繰り返して言われて来た言葉。


上記の様な事に対して、時間外手当を貰った事は全く無い。



では、どうすれば?

教諭が何処を見ているか、そして、見ていないか。
そして、管理職が何処を見ているか、そして、見ていないか。

教諭が管理職になる最も良い方法は、自分の上司が出世する事なのだそうな。 だから、教諭は管理職の茶坊主となり、管理職も教諭を茶坊主として使い、 面倒事は全て他人に押し付け、責任転嫁し、美味しい部分だけ横取りし、 やがて、お互いに管理職へ、校長へと、進んでゆく。 例え、一切の授業や校務をサボっていたとしても。(←実例:複数アリ)

生徒の為に頑張る管理職と、共に動く教諭、の体制の繰り返しな学校は実の有る効果が持続するが、 我欲にしか目が無い管理職と、その茶坊主の為に生徒は無視或いは操り人形な教諭、の体制の繰り返しな学校は、 見かけ倒しで中は空っぽ、馴れ合いと腐敗が無限に続く。

部下は上司の姿を自分の将来に置き換えたがる。
生徒の為に頑張る管理職と、共に動く教諭、の体制の繰り返しな学校は実の有る効果が持続するが、 我欲にしか目が無い管理職と、その茶坊主の為に生徒は無視或いは操り人形な教諭、の体制の繰り返しな学校は、 見かけ倒しで中は空っぽ、馴れ合いと腐敗が無限に続く。





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