何だか、内容が繁雑になって来たので、書き直しました。
この言葉に関しましては、
文科省、総務省、経産省、事業者、メーカ、など、様々な立場の方々の主張が有りますので、
公的な詳細は、そちらの方をご覧いただくとして、
以下は、あくまでも私のスタンスです。
「全ての人間がプログラマになる訳であるまいし」と言う意見も有りますが、
全ての人間が自動車を運転しなくとも道路交通規則は知っておいた方が、或いは、
全ての人間が気象予報士にならなくとも気象災害の知識が有った方が、
全ての人間がミュージシャンにならなくともドレミファは知っていた方が、生き方に幅が出るのと同程度に、
これからの時代、様々な分野で日常的に溢れるICTやAIを上手に使いこなし、
トラブルを想定、回避、解決し、(プログラムに)騙されない為に、
そして、新たなアイディアを創造する為に、知っておいて損は無い、と思っております。
10年後は、もしかしたら、誰もがプログラミング的思考が普通な時代になっているかも知れないしね。
例えば、表計算ソフトで、仕様書を基に全国珠算競技大会の成績管理システムを作成したい、と思った際に、
処理すべきデータの全体の流れと、その処理を実現すべきシステムの動作の過程を、
頭の中でイメージ出来るか、否か、の差は、物凄く大きい。
どれだけ関数を覚えていても、上記の事を把握し、効率良く的確に関数同士が連携出来なければ、
システムは完成しない。
同様に、授業の学びを確認、試行錯誤する上で、
学びの内容のポイントを押さえ、確認、シミュレーションする為のフローを頭の中でイメージ出来るか否か、
の差は、とても大きい。
私は、これをイメージ出来る思考が、授業の中のプログラミング的思考なのだと考えている。
私は、世の中の全ての事象は、理論と必要なデータが有れば、
プログラムでシミュレーション出来ると確信している。
小学校においては、プログラミング(言語)自体を主体とした授業も、勿論それはそれで必要だが、
最低限として、プログラミングを主体にするのでは無く、学校で学習する内容に対する、
シンキングツールやシミュレーションツールとして利用出来れば良いと考えている。
そして、中、高校では、さらに、現状の問題点を見つけ出し、
解決すべき問題について、筋道を分析整理、一般化し、
どの様にICT機器で効率的に解決出来るかを推測する思考、
さらに、より専門的に、それをICT機器で実現する為に必要な知識や考え方を知ることに繋げていければ、
と、自分では思っている。