もしも、アイザック=ニュートンが、 科学者では無く、農学者だったなら、 リンゴが木から落ちるのを見て、 「万有引力の法則」は、その時は発見されなかっただろうが、 その代わりに、どんな事が発見されたかも知れないだろうか。
気象予報士だったら?
或いは、経済学者だったら?
「リンゴが木から落ちる」という1つの事象でも、それを受け取る側の見方によって、発想は様々。 この時のリンゴは実が熟すると自然に落ちる種類だったらしいが、 栽培農家なら、以前の秋田の台風の時の様に受験生向けに「落ちないリンゴ」を考えて売り出すことも有る。 但し、その為には、基礎となるものと、「おや?」「何故?」を持っていなければならない訳で、 ニュートンも引力の存在やオイラーの法則を知っていたから発見に結び付いた。
一つの事に対して、例えば、 農業的な視点、工業的な視点、商業的な視点、など、様々な視点を持つ人間が集まり、 専門的にプロフェッショナルに見る事が出来るというのは、素晴らしいこと。 では、専門的でプロフェッショナルな商業教育って、どんなものなのだろうか。
基礎知識の無い思考からは何も生まれない。
無駄に検索だけしていても、思考の無い所からは何も生まれない。
基礎知識の無い議論からは何も生まれない。
無駄に議論だけしていても、基礎知識の無い所からは何も生まれない。