この30年近く、センセイと呼ばれる人達を観察して来た私の経験則。
学校や教諭の権威の維持と、一部の卒業生の善意の押し売りと自己満足の為に存在し、
その為ならば、時には学校が持つ公的な個人情報を流用、悪用し、
金銭的なもの以外でも、卒業生自身の不利益となる事を強制、
脅迫して来る事例(*1)も実際に有る、
ヤクザも呆れる心の闇の組織。
本来は学校とは関係の無い任意団体だから法律上は退会も出来る筈なんだが、
学校と癒着している為、様々な方法で脅してくる。
私は学校は好きだが、極く一部の人間がヌクヌクする為の同窓会という組織自体は大嫌い。
勝手な「こうあるべき」論で無条件で全員を対象に恩着せがましく押し付けられる筋合いは全く無い。
特に最近はSNSでも何でも有って、気の合う同窓生が集まってコミュニティを作ることが出来る。
(*1)この件に関しては、将来、何処かで発表する予定。
在校生や卒業生が学校を愛する心、
在校生や卒業生がお世話になった先生や仲間への感謝の心をあらわす言葉。
この場合の「学校」は、各々が過ごした日々の事を指すのであって、
「ハコモノ」自体では無い。
在校生や卒業生が自発的にこれらを持つ事が出来るのは素晴らしい事だが、
そう出来なかった人だって勿論、居る。
出来なかった事は不幸な事で決して本人が悪い事では無いのだが、
日常的に教諭や一部の卒業生が自分の自己満足の為の都合の良い言葉として、
学校や同窓会の組織内において、他者を脅す場合に無差別に使用される。
この言葉を使いたがるセンセイの特徴には大雑把に2通りの両極端なパターンが有るが、此処では自粛。
人が「母校」「恩師」或いは「先輩」「後輩」という言葉に対する想いはそれぞれで、 その想いは尊重しなければならないし、 私には私の「母校」「恩師」「先輩」「後輩」への思いが有り、 感謝こそすれ否定する心算は全く無い、 という至極当然の前提の上で。
私は、
自分が「母校」と言うのは構わないが、
他人から或いは母校から「母校だから」と言われる事が大嫌い。
それは自分の事であって、他人や母校から言われる事では無い。
例えば、在学中、虐められていたり、引籠りだったりした卒業生にとっては、
当時の友達には思いが有るかもしれないけれど、「母校だから~」とか、言えます?
学校としての視点と生徒としての視点は当然違う。
学校としての視点を生徒に押し付けてはならない。
校史をアーカイブする事はとても重要な事であり、大切にすれば良いと思うけれど、
昔はあーだったこーだった、なんて事は、学校側から押し付けられるものではなく、
一人一人の人間がそれぞれに感じ取れば良い事。
そして、「今の」「これからの」母校は、
「今の」「これからの」生徒と、「今の」「これからの」教諭が、作り続けていく。
(’06/06/01 記す)