キーワード辞典
はじめに2

初版登録日 21/04/17   更新日 21/04/20



あくまでも、一般論。此処に來る様な、あなたの事ではありません。

その1

例えば、 「教諭の高い倫理性」と宣う教諭は、さぞかし倫理性が高いのでしょうけれど、 全国各地の教育現場に数多居る教諭達が全員そうかと言えば、 教諭による様々な不始末が今も絶えない程度に、そうではない人が少なからず存在している訳です。 提案者がどれだけ理想を並べても、 その前提が、全国の教育現場の実情に合わず、都合良くグレーゾーンにされ、 「教諭は倫理性が高い」前提に便乗するオンブオバケ、子泣き爺達によって 形骸化していく事例と言うのは、 過去、数えきれない位、存在します。 提案者側がそれを考慮していないと、何をやっても無意味ですが、 提案者は、常に、次の提案の支度をするのです。
個人的には、此処迄周知徹底の出来ない組織って、他に無いんじゃないかと思う。


その2

例えば、私は、教諭が超多忙であることを決して否定するものでは無く、 放課後や毎休日にも、精神的にも体力的にも大変なのに、(手当が出るにしても) 部活動や進路指導などで生徒に親身に接している教諭達を大勢知っていますし、 その勤務状態が当然だ、と主張する心算は、全く有りません。 けれども、「教諭は忙しい」前提を免罪符にし、 他人の都合は我関せず、5分の勤務時間超過でも鬼の首を取ったかの様に騒ぎ立てたり、 教育の為なのだから何をしても良いのだ、と、コンプライアンスも無視する、 オンブオバケ、子泣き爺な怠慢教諭も、決して少なからず存在している、ということです。


その3

一人一人の教諭の授業スタイルについてアレコレ言う心算は全く無いのだけれど、 でも、結局、教諭って、 『生徒一人一人の特性に合わせた授業』なんてより、 『教諭各々の我欲と思想、自己満足、時には安易な誤魔化しや責任転嫁、に生徒の方が合わせる授業、 合わせられない生徒には「問題児」というレッテルを貼る授業』をしたいんだなぁ、 という事を思ったりする。 自分(教諭)が何をやったか、の主観的なアピールばかりで、 その結果、生徒がどの様に変わったか、の客観的な分析が皆無。 不都合は、常に誰かが悪者で、自分は正義、被害者。 例えば、勘違いで独り善がりなノイジーマイノリティに関わりたくない、何も言いたく無い、 醒めた思考のサイレントマジョリティの気分。 でも、反対側から見れば、私がそうなのかも。 そんな事言ったら、身も蓋も無い?


その4

出来る程度に合わせて、 「それ」が出来る環境と体制がキッチリ整っているのであれば、やれば良い。 そうで無ければ、無理にやらない方が良いんじゃないかなぁ。 やって、それが形骸化した時、そして問題が起きた時の反動が恐いから。 問題が起きた時に、「責任者は誰だ!」では無く、「では、何処を改善したら?」に持っていけるか否か。 勿論、教える内容は全国で標準化されていなければならないが、 学校一校一校の教諭と生徒の特性に合わせた授業方法、と、いうことか。








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