学びのツールとして、 授業中、或いは、予習、復習、反転授業などを目的とし授業時間外で学習するための、 Youtubeのコンテンツを活用した授業。 動画は、1時限分の長編よりも、小さなテーマ単位で作られた5~15分程度の短編の方が、 自分の授業計画に合わせ、臨機応変に数多くの動画の中から選択し、 カスタマイズして活用する事が出来る。 COVID-19の拡大感染以降は、遠隔授業においてのツールとしても使われる事が多くなり、 教諭自らがコンテンツを作成する事例も多くなった。
いきなり、「自作でYoutubeな授業」をしようとしても大変なので、
学校での授業、自宅での遠隔授業を問わず、 授業のツールとして、短編を上手に組み入れて活用している教諭も居るし、 生徒に適当に拾った長編を見せるだけで、始終ほったらかしな教諭も、居る。
「そんな授業をする人、居るの?」と思うでしょ。
現実に居るの。それなりに。
生徒に向かって語りかけるのでは無く、生徒の補助モニタに映し出す為の自分の画面だけを見つめ続け、
ブツブツと、自分がしている操作を逐一言葉にして呟き、表とグラフを作成するだけの授業。
教諭にとって、生徒は存在していない。
例えば、PC実習室で、全商検定3級の情報処理検定の問題集の問題を順番に、
既に1~2年で2年間何度も解いている3年生に、
生徒が判らなくて躓いて居ようが、2問先の問題を解いて居ようが、遊んで居ようが寝て居ようが、
ネットから模範解答をダウンロードしてコピーし合って居ようが、注意もせず、見て見ぬ振り、
理屈の説明は一切無し。ヤマ無し、オチ無し、意味無し。
しかも、教諭自身が途中で判らなくなってグダグダになったり、
出来たものが検定として間違いだらけで滅茶苦茶だったりするが、
完成した事にして、確認も振り返りも無く、印刷もせず、スルーして次の問題へ移る。
生徒の方が(過去に何度も同じ問題を解いているから)正しく出来ている場合も多い。
私が、困っている生徒の対応をしていると、教諭は何時の間にか教室から居なくなり、
授業終了の合図と共に登場する(=授業の放棄)。
最後は、(生徒に言うのでは無く)周囲に「生徒が~」。
生徒は、思考力は一切不要。Youtubeのコンテンツ未満。
考査直前には「対策プリント」と称して、3級程度の、考査そのままの問題と答を渡すだけ。
採点後は答案用紙と答を返すだけで一切の解説無し。当然、平均点は頗る良い。
生徒の、検定の上級受験の機会を奪って平然としている。
当初、指摘をしたのだが、頑として拒否をされたので、 以降、教諭の授業内容には一切口出しをせず、必要以上に相手にもしていないが、 まぁ、伝統的な「助手ガー」に責任転嫁されるのだろう。
この教諭は、これまでにも、多くの学校で教科「情報」を教えて来ているらしいので、 「多くの学校で」同様の授業をし、「多くの学校も」それで良しとして来たのだろう。 つまり、決して特定の学校の事例では無く、殆どどの学校でも、教科が、この様に見られている、ということ。 偉い人が上から「GIGAが~」とか、叫んでも、全国の教育現場は、大昔も昔も今も、そんなものなのですよ。 実際、現場では「どうせGIGAなんて~」と公言する教諭も大勢居る様だし。 GIGAの否定では無く、其処にメスを入れないとダメ、という話。