必要最小限の基礎資料と課題を渡し、後は生徒の試行錯誤によって問題を解決させる授業。 正解は1つが良いが、複数有っても、その解の根拠、論理が明確であれば、出来る。 其処が明確で無いと、結論が曖昧になり、「何でも良いじゃん」になってしまう。 適宜、インプット、アウトプットを繰り返し思考を確認させる手法も有効だが、 その場合も常に、次への「何故?」を意識させることが重要。 正解を得るまでの生徒自身の試行錯誤による学びは、 単に教諭から言葉で教えられ、或いは言われた通りに動いただけよりも定着率が良く、 次の課題への応用が利き、また達成感も大きい。 この事は、私自身、大昔に、生徒に、通産二種、一種を教えていた時に実証済み。 但し、常に生徒のモチベーションを維持する演出が重要。 生徒に合わせた適度なステップを少しずつ積み重ねて行く方法が効果的かも。
パターン1
毎日、毎時間、只管、既成の教材ビデオを見せるだけの授業。
それらの教材を教諭が授業の進行に合わせて臨機応変に組み合わせて見せるのは、
教諭の意図を感じさせるが、それすらもないもの。
教諭は、その間、何もしていないか、授業とは別のことをしている。
従来の教室での授業でも日常的に有るが、流行り病による遠隔授業では、更に顕著になる。
助手とペアの場合、教諭が居なくなることも良く有る。
パターン3
毎日、毎時間、科目とは全く関連性が無く、
口実の為に勿体付けた資料やTVの映画番組中の応募クイズ的な課題を渡すだけの、
その実質は、キングダムやエヴァや鬼滅の刃などの録画を見せているだけの授業。
所謂「授業力」の無い教諭の常套手段。
指摘された時の体裁として職員室での
「ICT機器を活用した授業をやってるアピール」は痛々しい程に物凄いが、
相互ナァナァな教諭間ではそれで通用しているのも、それはそれで呆れ返るが、
傍から見れば墓穴を掘っているだけの様な気がする。
それを見た別の教諭が「情報の授業みたいだ」と宣ったらしいのが印象的。
そうか、教科「情報」って、教育現場ではそういう風に捉えられ、教諭に「利用され」ているのか。
パターン1
考査前に、出題する問題とその答を、全て見せる。生徒は理屈が判らないままに、それを丸暗記するだけ。
考査が終われば、全ては忘却の彼方へと去って行く。
流石に真面目な生徒の方からクレームが出る事も有る。
パターン2
検定試験中に、教諭がヒントを出し説明をする。生徒は書くだけ。
真面目な生徒が検定試験に対するモチベーションを消失させる大きな要因の一つ。
教諭が自分の科目に対して生徒への関心が無く、体裁を繕い自己満足で行っている、
つまり、基本、生徒を馬鹿にしており、生徒の科目としての学ぶ権利を侵害している状態。
教育課程の軽視、学習指導要領の形骸化、授業体制の崩壊。
少なくとも公立高校の教職員として、全国共通の学習指導要領に基き、
遍く全ての生徒に合わせて各教科の基礎基本を教える義務の有る教諭が、
その基準で公的に教諭として採用されたのだから、
「授業はどうせ社会では役に立たない(似非教諭の常套句)」とその義務を放棄するのなら、
さっさと公務員を辞めて、でも今時の私立は物凄く競争が厳しくてもっとシビアだから無理で、
自分でそういう学校を設立して其処でやれば良いのに、と、物凄く思う。
特に流行り病以降の教育系セミナーで一定数登場する、
「これからは学校なんて要らない、教諭なんて要らない、教育系YouTuberの動画の方が余程良い」
と騒ぎ捲っている参加者に対し、
その裏の思惑は各人千差万別(言葉は同じでも目的が全く違う)に有るとしても、
日常の教育現場の実態では、彼らの口実を作ってしまっている。
しかし、具体的な解決策が無いままにそれを言い合うだけだと、
結局は日本の教育体制の混乱と崩壊を招き、
実際、その混乱が、近年の日本の教育レベルの格差や全体的な低下に繋がっていると考えている。
「百校プロジェクト」の昔から今のGIGAに至るまで、
一部の熱心な人達がどれだけ頑張っていても、
全国に数多居る御花畑、オンブオバケ、子泣き爺な似非教諭によるこうした「蟻の一穴」が、
色々な意味で彼方此方に影響を与え、
やがて全体が沈没...という話は、此れ迄にも幾らでも有る。
気付いたら、改善が不可能な場合は、早めに逃げ出すのも有効。
近年の、熱心な教諭の流出の一因は、この辺りにも有るのかも。