「○○なんて無駄だ」「○○なんて意味が無い」は、
今も昔も、多くの教諭が日常的に使うフレーズです。
この場合、2つのパターンが有ります。
(パターン1).
本当に、意味が無い。無駄。
(パターン2).
○○自体に意味が無いのでは無く、日常的に○○を意味の無いものに形骸化させ、保身、逃避する。
例えば、
「どうせ検定なんて無駄だ」→
検定に意味が無いのではなく、教諭自身が、検定に合格する事を意味の無いものに形骸化させたがっている。
本当にそう思うのなら、生徒の時間の無駄です。受検させるのを止めなさい。
「どうせ授業なんて無駄だ」→
授業に意味が無いのではなく、教諭自身が、授業内容を意味の無いものに形骸化させたがっている。
本当にそう思うのなら、生徒の時間の無駄です。教諭を辞めなさい。
「どうせ飲み会なんて無駄だ」→
飲み会に意味が無いのではなく、教諭自身が、飲み会を意味の無いものに頭の中で変換させたがっている。
個人がそう思うのは自由だが、上から目線で周囲に主張する事では無い。
何故か。
指導出来ない、指導したくない教諭が、自身の評価、成果に囚われ、○○を本来の意味の有るものに出来ないから。
これからの教諭に必要なのは、現実の問題発見力、改善力。
そして、それを評価する視点。