キーワード辞典
生徒の個性に合わせた授業

登録日 21/01/27   更新日 21/01/27



「生徒の一人一人の個性に合わせた」授業に対する教諭、 私が思う2つのパターン。

個人的に、「個性」という言葉が教育現場では物凄く都合良く解釈されて使われている様で、 此処で使うのは好きでは無い。


パターン1

学習指導要領やシラバスに書かれている内容を、生徒の個性に合わせて、生徒の特性を活かし、 その長所や得意を伸ばし、短所や不得意を改善させながら、 教えることが出来る。 生徒の好きな事だけをやらせるという訳では無い。 例えば、野球部員は野球だけしていれば良いという事では無い。


学習指導要領やシラバスに書かれている内容を、生徒の個性に合わせて、 手を替え品を替え、指導法やツールを替えて、教えることが出来る。 1つの事を教えるのに、幾つもの指導法とツールを持っている。


基本、特に公立高校の教諭は、「これが自分の指導法だ」「自分が正義だ」と1つの指導法に固執し、 他の教諭の、或いは新しい指導法など、変化を拒否する傾向が極めて強い為、 これを単独で、或いはチームで出来る教諭は少ない。


パターン2

学習指導要領やシラバスに書かれている内容を完全に無視し、 これが「生徒に合わせた指導法だ」とスタンドプレイでアピールしつつ、 その実態は、生徒に合わせた→迎合した楽しいだけで何も残らない授業や、 或いは自己満足な一つ覚えの思想洗脳授業しか出来ない。 パターン1の授業法を持っていない、 1つの授業法さえ持っていない、 或いは、パターン2が自分の授業法だ、と勘違いしている。 生徒に「話の分かる先生」と受け取られ、 卒業後も「先生の授業は楽しかった」などと煽てられると、 益々勘違いが激しくなる。
生徒自身に気付かせない中で、 生徒の未来の可能性を毟り取っているという視点では、生徒も被害者。
実態は、教諭が生徒を心の中で馬鹿にしているだけ。 教諭自身が生徒の教育格差を広げている数有る事例の内の一つ。 イマドキの、特に公立の教育困難校の教育現場に多い(個人の体験)。 保護者が「公立高校要らない!」「先生要らない!!」 「判り易く説明してくれる教育系Youtuberが居れば良い」と主張する元凶であり、 また、きちんと取り組んでいる公立高校のモチベーションを下げる元凶でもある。 「そうだ!学校要らない!」と思ってはいない私を含めての人は、では、どうすれば良いか、と、いうこと。









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