「本校はGIGA端末を自由に使わせて居ます」という、一言一句全く同じ発言で有っても、
学校として生徒指導が出来て居るか、出来て居る振りをしながら実は全く出来て居ないか、
或いは生徒指導をする気さえも無いか、によって、全く違うよね。
GIGA端末を使う事が目的では無く、
GIGA端末を手段として主体的で深い学びを生徒にさせる事が目的なのにね。
誰も教諭の話を聴いて居らずGIGA端末で遊んで居る生徒と、
生徒が誰も聴いて居ないのを気付かない振りで授業を進める教諭。
崩壊している授業。誰もが見て見ぬ振りの学校。
それもまた「GIGA端末を使った授業」だそうだ。私の地域だけなのかも知れないが。
何故「主体的で深い学び」の事例が話題にならず、
「GIGA端末を使った授業」の事例が華やかに紹介され、本が腐る程に出版されるのか。
つまり、そういうこと。