Rynのページ(情報教育研究室)
ジグソーパズルのひとかけら
〔0〕.
学校で最も偉い人に「理不尽で身体がしんどいです」と言うと「私もしんどいです!」と笑って返されて、
ハイコンテクストな言葉をどう受け取れば良いのか小一時間程考え、最期はもうどうでも良くなった。
若いこれからの先生方が試行錯誤しながらも真摯に取り組んでいる姿を傍から観ながら密かに嬉しく思う今日この頃。
その内容について此方からマウントを取る気も兎や角口出しする気も無い。その必要も無い。
天気痛なのか別の要因か、両方の相乗作用なのか、心身共に慢性的に絶不調。特に耳が壊滅的。
当分はAdagissimoで。
30有余年変わらない教育現場でのパワハラ、モラハラ、法令無視、時系列無視、不正、捏造、矛盾、すり替え、
其の他諸々は、「ワークシェアリング」「人事考課」「働き方改革」という万能ワードの下、
形を変え更に陰険、陰湿になって来た印象。その辺りは別の処で。
〔1〕.
既に幾つもの大学が共通テストや独自の試験において情報を必須にする旨を表明しており、
入学後の講義内容の対応についても検討を始めている。
今後その数は増加し、学部によっては情報Ⅱにも関わって来るのは想像に難く無い。
〇〇塾や〇〇ゼミなどの受験産業も、それに合わせて既に動き出している模様。
そんな状況の中、47都道府県単位で、高校の新学習指導要領に基く今年度入学生の教育課程で
「情報Ⅱ」の設置校がゼロなのは、唯一勤務県だけらしい、と全国的には話題らしい。
しかし県内では話題にならない。
県内の今年度高校入学生が大学受験に不利にならない事を願うばかりだが、情報Ⅰを含めて、大丈夫か?
教科「情報」は1986年に中央教育審議会第1次答申、2003年に開始して既に約20年も過ぎた。
しかし、「どーせ」でどうでも良い科目に印象操作し、授業した振りして、適当に評価して、単位認めて、
卒業すれば誰も文句無いだろ、予算とか成果とか美味しい処だけ頂き、模範教諭で管理職へ、
自分が退職すれば後の事は知らん、という、商業科「情報処理」の大昔から漂う雰囲気は、
教科「情報」の開始時に全国的な社会問題となった「単位未履修問題」以降も何ら変わる事無く、
全て自分以外(県、学校、助手、生徒)に責任転嫁するだけの形骸化した現在の教育現場へ繋がっている。
今の実態は、その間、教諭は、過渡期としての責任も果たさずヌクヌクと一体何していたの? というだけの話。
20年以上の時間を掛けて大きな変革を続けて来た社会で
既に小中学校で自律的&協働的な授業の評価を受けて来た生徒達と、
「教育の独立性」という名の極めて封建的閉鎖的な、
時の流れを止め「変わらない」夢を見たがる知識も授業力もモラルも熱意も全く無い教育現場との厚い壁。
その新たな軸(自律的x協働的x教育の情報化)の学校格差が、実は近年良くも悪くも、
保護者や生徒自身から注目されている事例は、これまでに幾つも知っている。
私は、変わらない「夢」を時流の中に求める。
例え「おじいさんのランプ」が「電灯」に変わっても、「灯す」夢は変わらない。
若いこれからの教諭達が試行錯誤しながら頑張っているのを眺めて居ると、嬉しかったりする。
今は過渡期の正念場。各々の歩幅で一歩ずつ、頑張れ、若いこれからの先生達!
「教諭の我欲や独善では無い、真に生徒の学びの為に頑張る教諭の為のICT」という私の軸は
このサイトを始めてから27年間全くブレていない。
時間が勿体無いので、
山程の、関わりたくも無い事、どうでも良くなって居る事、と、
多少の、どうでも良くは無い事、もう少し関わって行く事、少しずつ若い人達に引き継がねばならない事、
新しく始める事、を仕訳中。
流行り病も落ち着いて来たので、6月から基本オンサイトで本格稼働。
記録にも記憶にも残らないが、教育現場の奈落で粛々と動いて行きます。
私自身は、その内ポイされて、金も無くなって、何処かで野垂れ死にする未来しか見えないが、
未だ未だ、やりたいことは幾つも有る。受け継ぎながら、次へ渡しながら、出来る事を、出来る範囲で、出来る処で。