キーワード辞典
作問

登録日 13/10/03   更新日 13/10/03



考査問題を見ると、 出題しようとしている事柄を、 作問者がどれだけ「判っていないか」が判ります。


例えば、 殆どの検定用の問題集では、用語の説明は、分野別に用語と短い説明文とが一組になった辞書形式で書かれており、 授業は、断片的な、あたかも、用語と説明文との「百人一首」状態。 その用語の説明文以外の具体的な理論や、 関連している用語同士の体系的な繋がりや違いなどは、完全に無視される。 教諭自身が問題集に書かれている文字列以上の知識が無い(書かれている意味も判っていない)から、 考査問題も「百人一首」状態になるが、 往々にして教諭の作文が、主語や述語、てにをは、言葉の修飾関係、などが滅茶苦茶な日本語で意味不明になっているのに加え、 選択の絞り込みが大甘で選択肢などもいい加減なので、 私には正解が複数有るか或いは正解無しな問題が一杯有るとしか思えない考査問題が実施される。 それでも、教諭にとっては「これが正解。何故なら問題集にそう書いてあるから」で、それ以外は不正解となる。 すなわち、教諭にとっては「本当のこと」よりも文字列の暗記が重要視され、 百人一首を頑張った者が高成績を得る。
教科書の場合も、生徒に線を引かせた部分の「百人一首」になるから状況は同じ。 殆ど日常茶飯事。

別の事を判っている事を前提にした問題を幾つも出すとデッドロックを起こす。 そんなことも理解出来ない教諭も一杯居る。


私は、 「何故そうなるの?」とか 「何故この人はそういう言葉を使ったのだろう?」とかいう事が 結構気になる性格なのだけれど、 授業では「教諭の言う事を黙って聞いている事がビジネスマナー、評価の対象」だから、 そういうのは御法度になっている様で...。

作問するのは教諭なので、 内容について私がどうこう言う心算は全く無い。 教諭が生徒に伝えたい事がコレだと本当に心から信じているのならば。

私だって知らない事ばかりだし、 判っている人から見れば同じ状態なのだろうけれど、 少なくとも 「自分なりに見当を付けて考える力」「本当のことを体系的に調べ判断する力」 の指導を放棄はしたくない。






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