キーワード辞典
事実であるということ

登録日 12/03/20   更新日 16/05/05


事実であるということ

近年、何もかもが演出、脚色された世の中で、 「事実であること」の重要性が見失われている様な気がしている。 それとも、事実であることを既に諦めているのか知らん。

ネットワーク上では、近年では、 2010年5月の口蹄疫に関する「宮崎の現状」メールや、 2012年3月の「東日本大震災で父親にメールを送りながら亡くなった気仙沼の女の子」の話など、 感動的な話題には事欠かない。 しかし、時によっては、これらを丁寧に読むと、 後半部分は、政治への批判だったり、特定の宣伝だったりで、 しかも、前半部分も、故意に捏造されていたり、全くの嘘だったりする。

ネットワーク上に感動的な話が流れる事は一向に構わないし、 その話に感動して涙を流そうが、 そんな自分の善人性を延々とFacebookで見せびらかそうが、 それは本人の勝手なので、好きにすれば良い。 私だって感動的な話は好きで誰にも知られたくない位に涙腺は緩い。 けれど、 こんなに感動的な話なのだから嘘だと判っても良いじゃないか、という意見には、 とても違和感を感じる。

最初から、これはフィクションですよ、と断ってあるのなら、構わない。 しかし、全てを事実として感動的な話を前半に書き、 読者を感情的にさせた上で後半に発信者の思惑(批判や宣伝)を持って来るというのは、 「フィッシング」以外の何者でもない。

ネットワークの、事実の顔をした感動的な嘘と、 自分達の善人性に酔いしれシェアし合う人達、という構図は、 想像するに一歩間違えると物凄く怖い。

(’12/03/20 記す)



「ファーストペンギン」

本来集団で協力して行動するペンギンの習性をどの様な魂胆で解釈しようと 人間の勝手なのかもしれないけれど、 この言葉自体と勇気有る先駆者的な解釈は21世紀からこっち、 ハイリスクハイリターン的な解釈はその後からで、自己啓発的なセミナーで都合良く使われ始め、 ペンギンの習性やNHKの朝ドラの様々な時代考証などは、完全に置き去りにされているらしい。 そもそも、五代友厚氏の時代には、南極大陸は発見されていない。

朝ドラに限らず、大河ドラマだって、 マスコミの脚本、演出によって、主人公の人間像は、どの様にも出来る訳で、 例えそのエピソードがウソ捏造であっても、 面白いから良いじゃない、感動したから良いじゃない、では、 何処かの国の歴史捏造ドラマと同程度に、忠実である事から目を背けさせ、事実を軽視し、 余りにも感情に流され過ぎていて、物凄く怖い。

(’16/05/05 追記)








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