学校と情報教育に関する幾つかの想い Part.4
情報教育の要素

登録日 02/08/02   更新日 02/08/02

目次

例えば、教科「情報」とか「情報教育」などというテーマで話をしている時、
何だか、話がかみ合っていない様な気がする時が有ります。
教科「情報」や「情報教育」という言葉自体が、まだ、漠然としていて、
お互いが、自分の思うイメージを元にして話をしている様な気がします。

私が思う、「情報教育」の要素です。
どれか1つ、ではなくて、その全て、だと思っています。
但し、それを、何時(校種)、何処(科目)でするのか、は、また、別の話です。


その1

「どのように情報を収集し、取捨選択し、自己に有益な情報を活用するか」という部分に注目する。
その過程が重要なのであり、結果として創作されたものは、 例え、技術的には稚拙であっても全く構わない。
情報機器の操作スキルも、重要視しない。極端には、情報機器を使わなくとも良い。
自分が一所懸命に考え、苦労したものが出来上がった時の達成感も、とても大切。
他人から見れば「なんだこりゃ」でも、自分にとっては苦労して作った宝物、って、ありますよね。
「総合的な学習の時間」や、ごく一般的に教科「情報」の中で「情報教育」という場合、これを指す。
評価が難しいのと、既存の教科との関係が微妙(だと思う)。
多くの、真剣に取り組まれた素晴らしい実践が有るが、手を抜くと、とっても安易に流れ易い様な気も。
過程を無視し、単に、「情報機器を使いました」的なものは、問題外。
「その2」が加われば、鬼に金棒。


その2

デジタルを利用した「自己表現」という部分に注目する。
プレゼンテーション能力やデジタルデザインの技術を含める。
自分の主張を、より正確に、より強く、相手に伝えられるか、
に重点を置く。


その3

「情報コミュニケーション能力」という部分に注目する。
「その2」とも重複する。
コミュニケーションするにあたって、
各情報機器やシステムの仕組みや、ソフトウェアなどの特徴を知ることで、使う上での長所、短所を理解し、
自分の目的によって使い分け、活用する能力を付ける事に重点を置く。
「マナー」や「ネチケット」なども、この辺り。


その4

「情報機器を使いこなす」という部分に注目する。
「その2」「その3」とも重複する。

個人的には、例えば、
「自分が問題を解決するために利用する未知の機器やソフトウェアを、 マニュアルなどを読む事で自力で活用する事が出来る基礎知識と応用力」
が、重要だと考えています。
「機器やソフトウェアを活用するために自分が判らない部分をマニュアルで調べる、 その時にマニュアルの内容が理解出来る」
ということです。
当然ですが、マニュアルを読むこと自体が目的ではなく、 また、マニュアル通りに操作出来ればそれで良い、ということではありません。 また、決して「マニュアルを使って授業をする」という意味ではありません。 カッコ良く言えば、
「IT機器の操作における自己解決能力」
ということです。
「このタイプのデジカメは学校で習ったこと無いから使えん」とか、
「このソフトウェア、バージョンアップしてメニューが一変したから判らん」
「マニュアルを見ても、何のことだか判らん」
と、いちいち上司や同僚に質問していては、仕事になりません。
最近は、
別の授業の生徒によってなされた画面の解像度や漢字変換方式などの環境の変更や、実習時の操作トラブルなどで、
自分で考えようとも覚えようともせず、テキストも見ようとせず、
同じことでも何度でも直ぐに先生を「また機械が壊れている!」と呼び出し、
先生に解決して貰って済まそうとする、刹那的な生徒が増えている様です。

小、中では、「生徒が勝手に覚えるさ」と、割と無関心な様ですが、
「程々の速度と正確なキータイピング」も含まれるとは思うのだけど、どうなのでしょう?
自己流でも正確に打てる一部の人は置いておくとしても、
多くの人にとっては、タッチメソッドって、「それなり」には有効だと思うのですけどね。
授業中にやり方だけ教えて、練習は自由時間でも良いとは思うけれど。
高校に入学してくる生徒は、小、中学校でパソコンを習った、習わないにかかわらず、
年々、キー入力の速度の差が激しくなっており、実習授業がとっても辛いです。


その5

「より深く情報機器やシステムを理解する」という部分に注目する。
専門教科「情報」の範疇。


( '02/08/02 記す )




[ 黒板消しとチョーク受けの画像 ]